世の中ややこしい

生き苦しい世の中になった理由

業務の効率化≠デジタル化

デジタルという言葉をよく耳にする。

デジタル庁を設立するだとか

行政手続きを95%デジタル化するとか

自分の仕事はIT関連の業務が多いせいか、この「デジタル」というワードに反応してしまうのだが、とてつもない違和感を覚える。

そもそも、国や行政はいままでデジタル化が全く進んでいてはいなかったのだが、デジタルが叫ばれる今も全くデジタル化はしていないと思うからだ。

マイナンバーカードなんかはまさにその典型である。

個人に紐づくとても強力なIDカードなのに、カードの発行は本人による申請により発行されるもので、取得するか否かは任意である。

(そもそもマイナンバーという制度に対する賛否はここでは触れず、制度がある前提としての話です。)

そのため、マイナンバーカードを持つ人と持たない人の両方を想定して置かなければならない。

つまり、手続きが複数になるということだ。

マインバーカードの取得率が100%になったとしても、当然にマインバーカードを使わない手続きは想定しておかなければならない。

停電の時はどうするのか、カードが壊れた、紛失したなど、例外としての考慮はいる。

ただ、ここでいう手続きが複数になるというのは、正常系として複数の業務設計が必要になることである。

複数の手続きを維持するにはコストもかかる。

あと、一番問題なのは、マイナンバーは導入するがそれに影響する行政手続きそのものが全く変わっていないことである。

マイナンバーカードを持っているのに依然として住所変更の手続きはいる。

転居届を旧住所の市役所に届けなければならない。

転入届を新住所の市役所に届けなければならない。

免許証は警察に届けなければならない。

車庫証明は警察に行って、車検証は運輸局へ。

全く何も変わっていない。

ただただ、カードが増えただけである。

デジタル化とはIT技術を使えばそれで終わりではない。

むしろ、人間のような柔軟な判断ができないIT技術でも業務が回るように、業務そのものを見直すことが重要である。

それができて初めてデジタル化が今までの手続きより強力なツールとして作用する。

今の行政手続きには圧倒的にこの視点が欠けている。

直接部門と間接部門

組織には直接部門と間接部門がある。

これらの用語を辞書で調べると、

直接部門
企業などの組織において、業務が直接利益に結びつく部門。製造・開発・営業・販売など
間接部門
企業などの組織において、直接部門の業務を支援する部門。経理・総務・人事・情報システムなど。バックオフィス。
-goo辞書

組織を運営していくためにはどちらも必要な部門である。

ただ、組織が大きくなるにつれて、間接部門が組織内に占める割合は大きくなっていく。

小さな企業であれば、そもそも人事異動なんてないところもあるし、給与や経費計算も締日が近づいてきたらで誰かが兼務する場合や、家族経営であれば社長夫人が行うことろもある。

ただし、組織が大きくなっていくと従業員が多くなるため、給与計算する対象者は増えるし、組織の部署や支社の配置換えや、人材採用の観点から人事に関する業務も大きくなっていくため、なかなか片手間でできるものではない。

そのため、間接部門も大きくならざるを得ない。

ここで、個人的な意見なのだが、

なんとなく、間接部門に所属する人のほうが、組織内で立場が上というか、仕事ができる人っていうイメージはないだろうか。

ここは組織によって温度感があると思うため、一概には言えない。

しかし、私が所属する組織ではその傾向が強い。

「〇〇さん、人事や企画ばかり行ってるやり手の人だよ。」とか

「あの人は、ずっと予算や会計でバリバリの人だよ。」とか

間接部門に所属している人間のほうが相対的に評価が高い。

でも、組織内において、この両部門に差はないし、むしろ、その組織の本文は直接部門である。

なのになぜ、大きな組織ほど間接部門の立場が上のように見えるのか。

そこには、組織における個人が占める割合の差がそうさせているのではないだろうか。

小さな組織では、人事異動なんてせいぜい担当が変わるとか係異動くらいで、転勤を伴ったり働く環境が大きく変わることはない。

仕事も個人で完結することが多いため、経費についても個人単位で計算すればよい。

ただし、大きな組織では、人事異動は転勤を伴うこともあるし、出世に影響する一大イベントである。(複数の部署があるゆえの部署間の優劣。いわゆる花形部署にいけるかどうかは今後の出世に関わってくるため、人事の影響力は大きい。)

経費についても、所属や事業部単位の仕事になるため、予算を組んで管理されていく。

そのため、予算を配分したり、執行したりする予算や経理の立場も強くなる。

コンプライアンスがしっかりしていないと、いわゆる「報復人事」とか「そんなこというなら予算付けないぞ」が起こりうる。

こういった影響力が間接部門の地位や立場が強くし、そこに所属する人の評価に影響するのではないだろうか。

所属する組織をどうしたいか

あなたは自身が所属する組織をどうしたいだろうか。

もっとわかりやすい例えで言えば、自分が所属する会社、その会社をどうしたいだろう。

趣味で仲間と立ち上げたサークル、そのサークルをどうしたいだろう。

人それぞれ考え方は異なるが、一定数の人が、

「人を増やして、大きくしたい。」

と考えるのではないだろうか。

こう考えるのは至って普通だ。

やはり組織への帰属意識を持つ人はいて、その意識は自分が所属する組織を大きくしたいと考えに働くだろう。

ただ、必要以上に組織が大きくなれば、組織を維持するための管理コストが増える。

特に官公庁の場合は気をつけなければいけない。

あれやこれや国民のためと称して新しい取組を始めようとするが、それを維持するためには税金である。

公務員はこの税金に対して、

「毎年、絶対に入ってくる収入」

という意識が強いため、明らかにコストに対する意識が低い。

そのため、どうしても「効果」ばかりを意識して新しい取り組みを始めようとするが、効果だけではなく、費用も十分に意識した費用対効果の観点で検討しないと、

「無駄に人と金はかかるが、あんま意味のない仕事」

ばかりになってしまう。

偉いさんの考えることは。。。

思いつきで放たれる突拍子もない考え。

ぽろっと口にしたその一言のせいであれやこれや。

しかも的を得てない。

こんな時、本題のようなワードが口からもれる人も多いのではないだろうか。

確かに、所属長ほどの偉いさんは何を考えているかわからない。

なんで、現場とズレた考えを持っているのだろうか。

この問いに、職場の先輩が言っていた。

「立場が変われば、見ている景色が変わる。」

なるほど、確かに現場で働く下々が果たす責任と偉いさんが果たす責任は細かい部分は異なる。

下々は上司から与えられた課題やタスクをこなすことが仕事であり、偉いさんは部下の監督、組織としての実績、外部への説明に責任を持つ。

そういった意味では、考えのズレは仕方がない。

しかし、下々も偉いさんも同じ組織の一員である。

同じ組織なのだから大枠ではベクトルは同じはずである。

「所属する組織を良くしたい。」

この視点はむしろ同じでなければならない。

ただ、双方のズレがあまりにも大きいと、「頭(偉いさん)」が考えていることに対して、「手足(下々)」は低いモチベーションのまま、十分なパフォーマンスを発揮しない。

こういった問題を解決するために、ビジネス雑誌では、

「コミュニケーション能力が必要」

と書かれているが、むしろ、考えの乖離を生んでしまう組織のポスト構造に問題があるのではないだろうか。

意思決定、組織運営に最低限必要なポストだけにしたほうが、「コミュニケーション」にかけるコストは小さく、意思の伝達がスムーズになる。

これは「偉いさんの考え」という上から下への意思だけでなく、「下々の考え」という下から上への意思も伝わりやすくなることを意味する。

中間管理職は無責任になっていく

これは私が仕事をしているとき、いつも思っていることである。

職場で様々な上司のもとで働いてきたが、自分の経験則で7割は無責任な人だった。

実際によくあったのは、定例の報告はフンフンと聞くが、ややこしい案件や業務上のミスに関する報告となると、急に無関心になり、まるで他人事で関心を示さなくなる。

報告に対する考えを全く示さない。

さらに上の上位者へはそのまま伝書バトのように丸投げし、挙句の果てには、

「これは部下がやったんです、私じゃありません。」

と言わんばかりのニュアンスでさらに上へ報告し、上の上司と一緒に部下を責めるだけ責めて、後始末を部下に丸投げする。

そのような上司ばかり見てきた。

少なくとも、いざというときに部下を守る上司は割合として少ない。

なぜそんな奴ばかりなのかと嘆いてしまう。

しかし、考えてみれば当たり前のことで、誰でも組織の中で働く以上、職場での立場や地位を優先して行動する。

そして、多くの組織において、職場での立場や地位を左右するのは人事評価であるが、その人事評価は一般的に上司が評価する。

その人の上司が評価する以上、上司に気に入られるように振る舞うようになるし、部下のミスをそのまま自分ごとのように捉えると、自分の評価が下がってしまう。

だったら、部下のミスは部下のミスにしておけば自分の経歴は傷つかなくて済む。

「私は悪くない。」

「私は注意しました。」

「私は聞いてませんでした。」

たとえ、部下からの評価がどれだけ下がろうが、部下が人事評価者でなければ、自分の出世には影響しない。

こうやって無責任な中間管理職が量産されていく。

職位の多階層によるリスク

職位の階層は大きい組織、歴史ある組織ほど細かく分けられているのが一般的である。

特に官公庁は職位の名称を聞いても偉いのか何なのかよくわからない職位が結構ある。

それくらい、たくさんの職位が存在しているのだが、今回は職位の多階層によるリスクについてかきたい。

今まで何度も書いてきたが、公務員は意思決定の際、自分より上位の者へ一人ずつ説明してハンコをもらう必要がある。

しかし、上司も人間である。

合う合わないはあるし、社会人として残念な人も0ではない。

こういった人に当たると、説明の途中で本質とはズレた議論になったり、重箱の隅をつつくような指摘を受け、なかなかハンコをもらうことができない。

ただ、職位が多階層になればなるほど、そういった人に説明が必要になる可能性が高くなる。

例えば、残念な上司が5%(20人に1人)の可能性で存在すると仮定すると、3人にハンコをもらう必要がある場合、残念な上司が決裁ラインに混じらない確率は

0.95*0.95*0.95 = 86%

だが、これが7人になると、

0.95*0.95*0.95*0.95*0.95*0.95*0.95 = 69%

まで低下する。

規程の変更や他部署に影響する重要な政策の場合はもっと多くのハンコが必要になる。

ちなみに14人にハンコをもらう必要がある場合、

0.95^14 = 48%

で半分以上の確率で残念な上司が関わってくる。

意思決定に必要なプロセスそのものを否定はしないが、過度なプロセスは残念な上司が関わる確率を上げ、迅速な意思決定を妨げる。

船頭多くして船山に登る

コンピュータがビジネスのツールとして使われるようになり、作業を一人で組み立て、一人で処理できるようになった。

これは指揮命令する人間を以前ほど必要としなくなったことを意味する。

経済活動の中で、無駄なコストになる不必要な指揮命令系統を見直した組織は意思決定プロセスがスリム化し、変化の激しい現代においても柔軟に対応できるが、旧態依然の組織を維持した場合、意思決定に時間と費用の両方のコストを垂れ流すことになる。

判断は遅いし、金もかかる。

はっきり言って無駄以外の何者でもない。

ことわざで、

「船頭多くして船山に登る」

という言葉があるが、不必要な上役は方向すら誤らせる。

コンピュータと指揮命令

昔、この世にはコンピュータは存在していなかった。

wikipediaによると、パーソナルコンピュータという用語が使われたのは1962年だそうだが、ビジネスでコンピュータが広く使われるようになったのはノートパソコンが普及し始めた1990年の後半になってからである。

そう考えると、「これがないと仕事が回らない!」までになったこのパソコンというツールは実は20年ほどしか経っていない新しいツールとも言える。

このツールによって仕事の生産性は大きく向上した。

いいかえると、

「一人で、多くの仕事ができる。」

ともいえる。

例えば、100の業務量の仕事があったとして、昔はその100の仕事を複数人で分けていた。

(「100件の営業電話を複数人で分担する。」「100件の郵便を複数人で仕分ける。」)

このように複数人が作業する場合、この作業を指揮命令する人間が必要だ。

個々が勝手に作業すると手順や成果物が統一されず、作業の重複などが発生し、無駄がうまれるからだ。

しかし、コンピュータの普及により、「100件の営業メールを1人で送信する。」「100件のメールを1人で受信する。」に変わった。

今は100の業務量の仕事を分割する必要がない。

1人で作業を組み立て、1人で処理できる。

プレイヤーとディレクターは別々であった時代から、プレイヤーがディレクターを兼ねるようになったのだ。

上位者の承認をもらうために

組織の中でなにか仕事をするためには上位者の承認、つまり決裁が必要である。

そのためにはその案件について上司への説明が必要になってくる。

場合によっては説明のための資料を作成する必要もでてくる。

まあ、これらは致し方ないコストである。

ただ、上司も人間である。

その案件について承認するかの判断は必ずしも案件の良し悪しだけで決まるものではない。

上司の機嫌、上司との人間関係、ゴマすり、こういった案件以外の要因も承認を得るためには無視できない。

そのため、承認を得やすくする目的で上位者の出勤状況を把握したり、顔色を伺ってベストなタイミングを見計らったり、飲み会出席率を上げて自身の株をあげるなどといったことが重要であり、それも仕事になっている。

こういったくだらないことを気にしなければもっと仕事の質を向上させることができるのに、有限なリソースをこういったことに割く以上、本来の「仕事」が100%の成果にならなくなくなるのは当然であろう。

決裁、稟議、承認プロセス

これらは組織で仕事をする上で避けて通れないことである。

とくに組織が大きいと「仕事」のなかで大きなウエイトを占めるのではないだろうか。

特に公務員は決裁と呼ばれる承認プロセスが「仕事」で重要な地位を占めている。

いや、むしろこれが仕事そのものになっているといっても過言ではない。

組織の方向性を決める重要な意思決定ならまだしも、統計などの定例報告、同じ組織内なのに部署間の依頼や、鉛筆などの消耗品の購入までもわざわざ書類を作成して決裁を受ける。

本来、これらは仕事をするための手続きであって目的ではない。

しかし、何でもかんでも決裁を受けている今の現状はこれら決裁、稟議、承認プロセスは手続きではなく、完全に目的化してしまっている。

階層の多さ その2

前回に続き、階層の多さによる弊害を書いてみる。

階層が多いと新しいことに挑戦しようとする力は働きにくい。

例えば、現場からあるニーズが生まれたとする。

このニーズに敏感に反応できるのは現場でいる下位の職に就いている人間だが、この現場の人間と意思決定権を持つ人間との間に階層があると、現場の温度感は階層を経るごとに薄れていく。

また、そのニーズを伝えようと努力したとしても、その努力のコストは階層が多くなるほど増えていく。

結果、熱意を持っている若者も、ニーズに応える熱意とニーズを伝えるコストの比較した結果、わりに合わないと判断すれば、現場のニーズに応えなくなっていく。

公務員がダラダラしているように見えるのは、現場のニーズに応えるためのコストがかかりすぎるこういった事情がある。

階層の多さ

組織が大きくなればなるほど、当然ながらポストは増える。

これは、歴史がある組織ほど、その傾向は強いと思われる。

私は地方公務員だが、言わずもがな、上位の決定権者から私のような下々の間には多くの階級が存在する。

そのため、上位の決定事項が末端に伝わるまで時間はかかるし、逆に、下々から上位者に伺いや報告するにも非常に時間がかかる。

このようなことにコストをかけていては意思の伝達がうまくいくわけがない。

はじめに

最近、思うことがある。

「なぜ、こんなにも生き苦しい世の中なのか?」

このようなことは、今まで、学生時代は感じたことはなかった。

社会人になってからもしばらくはそのようには思わなかった。

しかし、最近になってそのように考えるようになった。

別に生活が苦しいわけでもない。仕事もそれなりに安定した職種である。

ただ、私にはそのように思う理由が漠然とだがわかってきた。

ここは、そんな一小市民である私がそのように思う理由を、書いていきたい。